あいちトリエンナーレ2019 私的ガイド 

私的にあいちトリエンナーレのご案内をします。情報の詳細は公的なものでお確かめください。

中日新聞 <記者が見たトリエンナーレ>(下) アートと現実

<記者が見たトリエンナーレ>(下) アートと現実 

2016/9/21 朝刊

名古屋市美術館に展示された「被弾痕のある公益質屋遺構」=名古屋市中区で

 壁一面に黒い紙が貼られている。あちこちに色の違う部分があるものの、気にせず通り過ぎることもできる。だが、足を止めてじっくり眺めれば、忘れることのできないこの国の体験と記憶が浮かび上がる。

 これは「あいちトリエンナーレ2016」のために制作され、名古屋市美術館で展示中の作品「被弾痕のある公益質屋遺構」。題材となったのは、沖縄・伊江島に残る村営の質屋跡だ。

 島では第二次世界大戦末期の一九四五年四月、米軍と日本軍が激しく戦った。質屋の壁は分厚いコンクリートだが、米軍の砲撃はそこに大きな穴を開けた。その壁に紙を当てて、拓本のように刷り出す技法「フロッタージュ」で私たちの眼前に示すアートなのだ。

 制作したのは、北海道在住の岡部昌生(まさお)さん。四二年に根室市で生まれ、根室の街を焦土にした四五年七月の空襲では生家も焼失した。「三歳で見たそのまちの姿が自分の原風景」と語るこの作家の作品は今回、愛知芸術文化センターでも展示されている。

 題材は、原爆の惨禍を生き延びた広島市の被爆樹と、二〇一一年の原発事故で被ばくした福島県の木の切り株。福島では、子どもの学資や嫁入り費用となるはずだった民家の林や、神社のご神木さえ「放射性物質の除染」を理由に切り倒された。そこに焦点を合わせた岡部さんの作品群は、戦争から原発災害まで、この国が経験した近現代の一断面を、静かに深く描く。

 トリエンナーレでは、こうした私たちを取り巻く状況について考えさせられる作品に何度も出会う。

 沖縄生まれの作家、山城知佳子さんの新作「土の人」(名古屋・栄会場)は、戦争や軍隊に翻弄(ほんろう)される民衆に思いをはせさせる映像作品。戦火の下、泥まみれで逃げ惑う人々の表情を軸に、沖縄戦の戦闘や、いま辺野古名護市)で進む米軍の基地建設の現場など実際の映像を織り込み、強く訴えかける力を持つ。

 海外からも優れた作品が集まった。トルコの作家インジ・エヴィネルさんは、欧州連合(EU)の議会の建物が題材のアニメーションを出展した。ユーモラスな人々の動きを通して建物が収容所のように描かれ、EUに対するトルコの複雑な感情が感じ取れる。

 フランスの写真家マチュー・ペルノさんは、欧州で長く迫害されてきた移動の民「ロマ」の、今の素顔を伝える写真と映像を展示している(いずれも愛知芸術文化センター)。

 こうした創作が私たちに示すのは、作家が体感し、咀嚼(そしゃく)し、アートとして昇華させた同時代の現実だ。主義・主張を声高に叫んだりはしないが、それだけに心に深く染みてくる。

 「美術活動は、今の世の中をどう考えるかという問題と常に結びつく」とチーフキュレーターの拝戸雅彦さんは語る。「世界で何が起こっているかを示し、それに対してアートの現場でどんな表現が行われているのかを示すのがトリエンナーレ。それぞれの国の事情はありながらも、普遍的なメッセージを持ったものを紹介しています」

 そうした視点に基づき、国内外から選ばれた作品や舞台芸術が集まるトリエンナーレ。そこには、すでに評価の定まった名画や骨董(こっとう)を心穏やかに鑑賞するのとは違う体験が待つ。

 作品を時間をかけて見つめ、その背景を知れば、この連載の初回(七日朝刊)で紹介した港千尋芸術監督の「今ある現実とは違う、別の現実がある」という言葉の通り、それまで気づかなかった世界への窓口が開くことがあるのだ。

 会期は残り一カ月ほど。作品を見て心がざわついたり、違和感を持ったりすることもあるが、それでも「ぜひ一度会場に」とお勧めしたい。

 (三品信)

 

あいちトリエンナーレ2013には辛口だった地元中日新聞

今回はアートをどのように私たちがみるべきなのかわかりやすく表していてよい記事だと素直に思います。

単にアートを見るのではなく、作品の中にも作家の中にも自分の中にあるものを思い出させてくれる時間は貴重です。それは若いからとか難しいからとはでなく、誰にでも自由にあるものです。